ADA法の考え方と問題点
ADA法(Americans With Disabilities Actアメリカ障害者法)とはどんな法律

最初に、ADA法のバックになっているアメリカの根本的な思想を述べます。

アメリカはプロテスタンティズムとソーシャルダーウィニズム(社会進化論)を社会政策だけでなくあらゆる政策の基本とする国である。1990年に制定されたADA法(Americans With Disabilities Actアメリカ障害者法)は画期的な法律だと当時騒がれた。あらゆる障害者差別を禁止していると思われたのだ。しかし中身は、かなり偏りがある。ADA法は1960年代からのアメリカの障害者の自立運動から起きてきて(CIL center  independence  living)設置運動を経て成立した法律である。ADA法にもアメリカ独特のプロテスタンティズムとソーシャルダーウィニズムが生きています。

この両者の考えの原点はジョン・ロックの所有論だと思われる。
彼は聖書から自然にあるものに労働が加味されるとその自然のものは労働を加味した個人のものになる定義したのである。ここから労働が人間の価値を決めるとう考えが理論化されたのである。障害者は労働ができないから無価値だという考えはここからも来ていると思われる。障害者が無価値だという考えを生み出すのは他にもあるのだが労働ができないということは大きな原因だと思う。

少し、プロテスタンティズムとソーシャルダーウィニズム(社会進化論)について簡単に説明します。

プロテスタンティズムとはマックス・ウェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によると、清教徒など一部のプロテスタントが労働者としては合理的に効率性、生産性向上を追求する傾向を持っていたことを指摘している。(ジョン・ロックは「統治論 1690年」で効率的な生産は人間が神から与えられた権利であるといっている)プロテスタントの教義上、現世における成功は神の加護の証であるということになり、プロテスタントは与えられた仕事を天職のように考えてそれに打ち込むことで自分が神に救われる者のひとりである証を確認しようとしたという考えである。労働は聖なるもので人間は働かないと神の意志に反することであると考える。ダーウィニズムは生物の多様性についてダーウィンの提唱した理論である。ダーウィニズムの根幹となるのは自然淘汰という作用である。生物が住む環境には生物を養う資源(食物、営巣地など)が有限にしかないので、その環境で子孫を残すのに有利な性質を持った種族とそうでない種族とでは、必然的に有利なものが残って繁栄することになる。有利な性質を持っていることを適応していると表現し、適応していることが繁栄につながることを適者生存と表現する。この作用が自然淘汰である。この考えを人間に当てはめて人間を自然淘汰するのは自然であるから強者は栄え弱者は滅びると考えるのがソーシャルダーウィニズム(社会進化論)といわれる。

以上のようにアメリカの労働観はこの両者の考えが根幹にある。働く人は善であり働かない人は悪である。働くと必ず豊かになり働かないと貧乏になる。だから貧乏は働かないからであり貧乏人は悪の存在であり自分の責任であると考える。この考えを利用したのがアメリカの障害者の自立を進めていた障害者団体であった。障害者だって働けるはずである。相応の配慮があれば働ける。それを補償しないのはアメリカの労働観に照らしても間違いであると国に訴えることができた。こうしたアメリカの労働観があってADA法は生まれたともいえるのではないだろうか

 

  ここからADA法について述べます。

1.ADA法の概要

 この法律は五つの章から構成され,教育,医療,雇用,住宅,公共交通機関,公的機関,民間機関,民間事業などが対象となっている。社会の多くの領域での障害者差別を禁止し,障害者の人権保障と社会参加を促進するものである。

 第1章で,雇用差別の禁止を規定している。従業員15人以上の事業所では合理性のない差別を禁止する。求人手続,採用,報酬,昇進やそのほかの条件に関して資格のある障害者を障害ゆえに差別してはならない。例えば目が見えない,足が動かないとかの障害があって何らかの労働補助(使いやすい機械とか職場環境など)があれば職務を健常者と同程度に遂行できるのであれば採用を拒否することはできない,など。具体的には,当該障害者が現存する施設や設備を使用しやすくするための改善を図る,仕事の再編成,弾力的な勤務時間,聴覚障害者や視覚障害者のための有資格の補助者(朗読者,通訳者)の提供がなされるなどがある。障害者排除を助長する試験や選考基準を設けること,採用前に障害者であるかどうかの判定を意図した健康診断を実施することなども差別行為として禁止される。

 

 2.ADA法の問題点

 ADA法が障害者の人権保障を進める立場からみて画期的な法律であることは明らかである。しかしながら幾つかの限界を含んでいることも否定できない。

 なかでも,雇用の部門における「資格のある障害者」( Qualified individual with a disability)に関する定義に問題がある。

アメリカ障害者法(斉藤明子 1991年 P6−7)からの引用

 

 第1章雇用

第101項 定義

この章での用法

(1)委員会−「委員会」とは1964年公民権法第705項

(42 U.S.C.2000e―4)によって設置された雇用機会平等委員会を指す。

(2)適用事業体―「適用事業体」とは雇用主、雇用斡旋機関、労働組織、労使協同事業体を指す。

(3)直接的脅威―「直接的脅威」とは適切な設備(配慮)によっても取り除けない他者に対する健康または安全上の重大な危険を指す。

(4)従業員―「従業員」とは雇用主によって雇用された個人を指す。

(5)雇用主

A)一般的に−「雇用主」とは15人以上の従業員を有して、本年または前年に労働日20週以上、商取引を前提とする産業に従事した個人またはその代理人。ただし発効日から2年間は25人以上の従業員を有して、本年または前年に労働日20週以上、商取引を前提とする産業に従事した個人またはその代理人を指す。

(B) 例外−「雇用主」とは以下を含まない。

i)アメリカ合衆国、アメリカ合衆国政府が完全所有する法人、およびインディアン族あるいは、

ii)1986年内国歳入法第501(c)項のもとで課税を免除される善意の民間会員制クラブ(労働組織を除く) 

(6)薬物の違法な使用

A)一般的に−「薬物の違法な使用」とは物質規制法(21U.S.C.812)のもとで違法とされている薬物の使用、所有あるいは配布を指す。資格あるヘルスケア職業人の管理下での薬物使用、あるいは物質規制法、その他の連邦法の規定により認められた使用は含まれない。

B)薬物−「薬物」とは物質規制法第202項の別表1−5に示されている規制物質を指す。

(7)人、その他−「人」「労働組織」「雇用斡旋機関」「商業」および「商取引を前提とする産業」とは、1964年公民権法第701項(42U.S.C.2000e)における定義と同じ意味である。

(8)資格のある障害者−「資格のある障害者」とは適切な設備(配慮)があれば、あるいは適切な設備(配慮)がなくても、現有のまたは希望する職務に伴う本質的な機能を遂行できる障害者を指す。この章の目的に照らして、仕事のどの機能が本質的かについて、雇用主の判断は考慮の対象となる。雇用主が求人広告あるいは採用のための面接を行う前に書面での職務説明を用意した場合、この書面は職務の本質的機能を示す証拠とみなされる。

(9)適切な設備(配慮)−「適切な設備(配慮)」には以下の意味が含まれる。

A)従業員によって使用される現存の施設を障害を持つ人に利用しやすく利用可能にすること。さらに、

B)仕事の再編成、パートタイムまたは勤務スケジュールの調整、空席への採用、機器または装置の取得または改変、試験・訓練教材・方針の適切な調整または改変、資格のある朗読者または通訳者の提供、および障害を持つ人のためのその他同様の設備(配慮)

(10)不当な困難

A)一般的に−「不当な困難」とはパラグラフ(B)に示された要素から見て著しい困難または出費を伴う行為を指す。

B)考慮すべき要素−設備(配慮)が適用事業体に不当な困難をもたらすかどうかを決定するにあたり考慮すべき要素には以下のものが含まれる。

i)この法律で必要とされる設備(配慮)の性質と費用

ii)適切な設備(配慮)の規定が適用される施設の総財源、その施設に雇用されている従業員の数、費用および財源への効果あるいは反対にそのような設備(配慮)が施設の稼働に及ぼす影響

iii)適用事業体の総財源、従業員数からみた適用事業体の全体規模、施設の数・種類および位置さらに、

iv)事業体の労働力の構成、構造、機能を含む適用事業体の事業種別または事業、適用事業体における該当する施設の地理的孤立性、管理、財政上の関係

 

上記の内容をみると,この本質的機能を遂行できることが「資格のある障害者」(Qualified individual with a disability)である。そして募集する仕事の本質的な機能は雇用者が決めるということである。例えば募集内容に会計事務ができることと記述されていれば,日本ではよくあるが障害者の採用を断る理由として事務ができてもお茶くみができないといって断ることはADA法では差別になる。本質的機能は会計事務であってお茶くみは付随的な機能だからである。しかし募集内容に会計事務とお茶くみなどができることとあれば差別ではない。問題なのは採用が先にあって職場環境の整備が後についてくるということである。職場環境の整備が先にあって有資格の判断がなされないということである。先行投資はしないのである。これでは一般就労の困難な重度障害者は採用されないだろう。このような能力主義を前提にした法律では資格のある障害者はおのずと限られる。この考え方がアメリカの能力主義的,合理主義的障害者観をよくあらわしている。事務職においてこのことを簡単にいうと上肢健常の障害者は仕事ができる障害者だから環境を整えろといっているのだ。2000年に私はサンフランシスコ市長直轄の障害者雇用担当者に聞く機会があって採用資格について聞いてみたところ「能力があるのに雇わないのは差別だ。能力判定はする。もし業務遂行能力(有資格能力)がないと判断すれば雇わない」と担当者ははっきり答えてくれた。またサンフランシスコの民間団体が運営している福祉作業所の職員にも聞いてみたら「ADA法で一般就労できる障害者はごく一部だ。就職の可能性の少ない障害者,とりわけ知的障害者施策には予算が付かない」と言っていた。

 

 



3 「資格のある障害者」とは何かを具体的な例(理論モデル)で考えます。
  ちょっと古い事例ですが参考になると思います。

「資格のある障害者」( Qualified individual with a disability)について雇用の具体的な例を出して考えてみる。以下は大阪市内で配布されている仕事情報誌である。

 

ある仕事情報誌 2006年10月30日号

この情報誌の内容

正社員・パートの仕事募集が掲載されている。

以下はこの情報誌の内容を私が数えたものである。

募集広告数 623件(同一広告内に多数の職種の募集がある場合は主たる募集のみを数えた)

募集職種

営業 48件

生産ライン 37件

自動車運転 11件

接客業 90件

建設 8件

店舗での販売 65件

清掃 35件

軽作業 50件

事務(PC作業明記有り) 113件

事務(PC作業明記無し) 3件

警備 12件

コールセンター(電話応対,テレホンアポインター等) 45件

調理 38件

美容理容 3件

コンビニ・スーパー 10件

店舗管理(PC作業有り) 5件

コンピューター専門職 14件

医療関係 23件

福祉関係 10件

機械操作 3件

 

以上の職種から一番多かった事務(PC作業有り)の一つを取り上げて考察をする。 

 

この会社は携帯電話の問屋さんである。会社はビルの二階にあり階段しか上がる手段はないとする。事務所内は狭く机と椅子がランダムに置かれ通路は一人が歩ける程度なので前から一人が来たら斜めにならなければ対向できない。またトイレは洋式トイレが一つあるが一人が何とか入れる程度の広さである。(以上の職場環境は仮定したものである)

この募集に三人の障害者が応募したとする。

 

Aさん 

下肢完全マヒの障害があり補助具(車いす)を常時使用している。上肢は障害はない。言語障害はない。パソコンの能力もかなりある。ワード・エクセルの事務をこなす能力は健常者と変わらない。

 

Bさん 

上肢下肢も不完全マヒがある。体幹が不安定なので体を左右に揺らしながら補助具なしで歩けるが遅い。軽作業はゆっくりなら可能。パソコンもかなりの知識があるがキーボード操作にかなり時間がかかる。言語障害が少しあるが数回聞き直せばわかる。ワード・エクセルの事務をこなす能力は健常者と変わらないが時間がかかる。作業には健常者の約二倍の時間がかかる。かなりの緊張があるのでパソコンの作業をゆっくりしても長時間は体力的にできない。

 

Cさん 

知的障害がある。肢体に障害はない。定型作業は健常者以上にできる。集中力が非常にあるので一度覚えた仕事,例えばパソコンのデータ入力は高速でこなす。集中力は30分が限界である。30分すぎるとほかのことをしている。例えば事務所内を歩き回ったりしている。そういう状態が1時間から2時間続いた後は元の仕事に戻り高速でデーター入力をこなす。パソコンのソフトを使っての創造的な仕事は難しい。例えばエクセルで簡単な現金出納帳を作るとかはできないができあがった現金出納帳にデータ入力はできる。初めての人には余り近づかない。慣れるまで少し時間がかるが慣れてしまえば気軽に話をする。

以上の三人の障害者が以下の募集に応募する。

 

 

それでは,この仕事内容が三人にとって有資格なのか考えてみる。

この募集の仕事内容は,

1.  携帯電話店から送られてきた携帯電話のトラブルや故障をパソコンにつないでのチェックと保守

2.  取引先の携帯電話店の取引内容をパソコン入力する(ワード・エクセルを使用)

3.  MNP(電話番号引継ぎサービス)の作業(パソコン入力・電話応対有り)

4.  自社の会計をエクセルで処理

5.  取引先の携帯電話店への携帯電話の販売受付(直接来社された取引先社員との応対と電話応対)

 である。

 

Aさんの場合 

すべての仕事が座ってできるので問題はない。

事務所の今の設備環境では職場に入ることも不可能。入ったとしても事務所内の移動,トイレが狭いので使用不可。

 

Bさんの場合

1.  細かい作業なので難しい

2.  時間をかければ可能

3.  電話応対が難しい

4.  時間をかければ可能

5.  お客応対と電話応対は難しい

 

Cさんの場合

1.  定型作業化すれば短時間なら可能

2.  短時間なら可能

3.  難しい

4.  定型作業化すれば短時間なら可能

5.  難しい

 

この三人の応募にADA法を適応さしてみる。

Aさんの場合

採用後,職場環境の整備で就労可能

ADA法の資格のある障害者

 

Bさんの場合

ADA法を適応さしても難しい。

事業者が時間をたっぷりとってくれれば就労可能だが。事業者の理解がないと無理。資格のある障害者ではない。

 

Cさんの場合

ADA法を適応さしても難しい。

事業者の理解がないと無理。資格のある障害者ではない。

 

理論モデルで見てきたが就職において明らかに下肢障害者がADA法の恩恵を受けるようになる。

 このようにADA法は大変進歩的だが問題もある。障害者の使える交通機関,障害者の使える公共機関等を国が義務づけたことは評価されるだろう。それ以外は余り評価する部分はないように思える。とりわけ雇用においてごく限られた障害者がADA法の雇用の対象になっている。このような有資格(Qualified)の考えは300年前にイギリスからアメリカにやってきた当時の清教徒の考えが影響しているのではないだろうか。労働は聖なるもの,労働しないものは神への冒涜(ぼうとく)であるという考え方が有資格(Qualified)を重要な条件とした。つまり働けるのに働けないのは神への冒涜(ぼうとく)になる。すなわち働ける障害者を働かさないのは働ける障害者以外の責任である。だから周りの者は働けるようにする義務がある。これがADA法を支えている考えの一つであろう。もう一つの理由は働ける者を働かさないで生活扶助を国が出すのは無駄遣いであるという考えである。働ける者が働けば生活扶助も必要がなくなり税収も期待できる。これらのアメリカの合理主義がADA法を成立させた。アメリカには社会保障や福祉という考えは余りない。現代のアメリカでは78%の国民が医療保険に入ることができないでいる。アメリカは国として初めて1935年に社会保障法を作ったが労働者の年金と労災を補償しただけのものである。アメリカの労働観は両極端である。労働する者としない者の二者択一の考え方である。働くことは神の意志であり働かない者は神に刃向かう悪徳者という考えが根底にある。最近,日本でもアメリカのこの法律を内容もそのままに持ってきて日本版ADA法を作ろうという運動がある。私はいつもQualified(業務を遂行できる能力)の考えをそのまま持ってきては駄目だと思っている。もっと枠の広がる表現にしないと今と変わらないのである。アメリカの知的障害者の団体が日本に来たときに日本はなぜこんなに知的障害者が雇われているのかと驚いたと聞いたことがある。

アメリカの平等観は機会の平等であり結果は個人の努力に帰結すると考える。この考えに警戒しなければならない。

 
 このADA法の考えは障害者人権条約にも受け継がれている。当然、障害者差別解消法にも受け継が れている。私たち当事者に役に立つように障害者差別解消法を運用していかなければならない。


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