コーヒータイム

このコーナーは会員の方へのお知らせ、また会員の方からのご意見等、
様様な話題を載せていきたいと思います。

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   「車いすを乗っている障害者が人身事故を起こしたときの体験記」

 数年前になるが、私は人身事故を起こした。相手は幼稚園児。
交差点を右折しようとしたときに何かが当たった気がした。そしたら車のすぐ後ろに子供がいた。幼稚園の鞄を背負った子供だった。ドアミラーの死角にいたのだろう。まったく子供がわたっているとは思わなかった。(昔のヘンダーミラーと違いドアミラーは大きいし窓に直接付いているので死角が大きい。だから私はドアミラーには反対だ。でも今はヘンダーミラーの車はタクシーぐらいしかない。一般には売っていない。しかたなく不安を抱えてドアミラーに乗っている)その子に「大丈夫か」と聞いたら、「大丈夫」と答えてそのまま歩いて行ってしまおうとする。私はあわてた。帰してしまったらどこの子かわからなくなってしまう。大変だ、何とか引き留めなくてはと思った「ぼく、いったらあかん、こっちにきて、怖くないから」と私は言って必死に行かないでくれと頼んだ。やっとその子がやってきてくれた。私はすぐその子を助手席に乗せた。
私は車いすだ。その子が行ってしまったらとうてい追いつかない。以前聞いたことを思い出した。もし子供に少しでも当たったら、服にすれただけでもその子を確保して救急車を呼び警察に連絡しなければ「ひき逃げ」になるということを。
その子を助手席に乗せてその子のからだを調べたが怪我はしていないようだと思った。すぐに119に電話して救急車を呼んだ。そして次に110にかけて警察を呼んだ。所轄の警察のパトカーがすぐきて、救急車もきた。私は事故の状態を警察に話した。警察は子供を救急車に乗せて近くの救急病院に行かせた。私にも救急病院まで後を追うように言ったので後を追った。救急病院に着いて子供は処置室に入っていった。警官が私に病院の駐車場で自分の車の中で待つように言ったので待っていた。一時間ぐらい待ったら警官がきて「ちょっと足をこすっているので全治三日だ」と言った。それから現場に戻って現場検証が始まった。交差点への進入から右折までの間の経過を詳しく聞かれ、説明した。あちこちにチョークで印を付けて写真を撮っていた。現場検証が終わって警官が私に言った、
「よく、子供を逃がさなかったな。もし子供を逃がしていたらひき逃げになっていた。救急車を呼んでから警察に連絡したね。これが正しい事故に際しての運転手のやるべきこと。子供をすぐ確保したこと、救急車を呼んでから警察に連絡したこと。よく落ち着いてしたな」と警官に言われた。
「子供はお母さんがきてすぐ連れて帰ったから心配いらない」と言ってくれた。
それから警察署に行き調書を取った。調書が終わり警察から帰るときに警官が「検察庁から連絡が来るから待っているように。事故の処理が正しかったから
行政処分はないかもしれない。でも最低でも30日の免停はくるかもしれない」
と言われた。警察を出てすぐ自動車保険会社に事故の報告をした。私は対人無制限の任意保険をかけていた。もちろん運転手の制限もしていない。強制賠償保険は被害者が一週間入院すれば使い切ってしまうといわれているので任意保険は最高の保障があるものをかけていた。以前に私は救急病院で働いたことがあるが、そのときによく聞いたのは救急車が一台来ると一千万円の治療費が病院に入るといわれていたのだ。交通事故だとだいたい検査などで一週間ぐらいは最低入院することが多い。入院すると一千万円の治療費がかかるということです。一週間が過ぎると任意保険で入院費を負担することになる。

 警察から家に帰ってガレージに車を置き、車いすに乗り換えお菓子を買って子供の家にお詫びに行った。ものすごく怒られるだろうと思っていた。お母さんが応対してくれて「誰でも運転していれば事故はあり得ることです。あなたも今回の事故で怖がらないで運転をやめようと考えないでください。よく注意して運転してください。」といってくれた。私はほっとした。保険会社が被害者に丁寧な対応をしてくれてまもなく示談が成立した。
 事故から一ヶ月がたち三ヶ月がたち半年がたっても検察庁からの呼び出しはこなかった。そして免停もなかった。罰金も無かった。そして一年がたった。
事故でのマイナスは更新の時に5年有効のゴールド免許が三年有効の普通の免許になっただけだった。
その事故のときの車(日産S14)はすぐに売った。そして日産R34を買った。ご存じの方もおられると思いますが下半身麻痺がある場合は特別な改造をした車に乗る。手動装置をつけて手だけで運転する。足は使わない。その特別な改造に約20万円かかる。中古車を30万円で買ったとしても改造費が20万円かかるから50万円の中古車を買ったのと同じなので中古車の割安感はあまりない。だから私は新車を買うことが多い。R14の2ドアを新車で買って20万円で手動装置を付けて乗っている。車いす常用者は車に乗るときに車いすをたたんで持ち上げて後ろの座席に乗せる。運転して目的地に着いたら後ろの座席から車いすを持ち上げて運転席のドアの外におろしてその車いすに乗り換えて移動する。一日に何度も車いすの上げ下ろしをするので両肩にかなりの負担がかかる。私はなぜか左の腕の力弱いので左肩を痛めやすい。だからあまり運転はしないようにしている。大阪市内なら車が無くても何とか暮らせるから。

 その事故のことは思い出すだけでも怖いできごとだった。もしも事故の時、子供が僕の声に振り向かずに行ってしまっていたら「ひき逃げ犯」として交通刑務所で今も服役しているだろう。




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DVD版「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」見ました。2007年4月5日

 おくればせながらレンタルビデオ屋さんでスターウォーズのDVDを借りてきた。
「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」である。音がすごいなあ。5.1chのスピーカーシステムなら迫力があるやろなあ、と最初に思いました。私の映像と音響環境は日本橋のドスパラで3980円で買ったDVDプレーヤーと7年前に買った21インチのテレビのみです。でもすごく綺麗な映像だった。やっぱりビデオテープとは違うなあと思いました。それでは本題に入ります。
 スター・ウォーズ は9部作だとルーカスは言っていたのであと三本を作らなきゃならない、ほんまに作るのかなと思いながら見た。「シスの復讐」は時代的にいうと9部作の最初から三作目にあたる。30年前に最初に出たものが第4話である。つまり第4話からスターウォーズは公開されたのだ。「シスの復讐」はその直前の物語なので、なぜルーク・スカイウォーカーの父がダースベーダーになって悪の手先になったのかがわかるようになっている。ルーク・スカイウォーカーのお父さんは愛のためにフォースの暗黒面にとらわれてしまうのです。住井すえさん風にいえば愛と恋情を勘違いしてしまったのです。住井すえさんは「橋のない川」の作者です。
 「シスの復讐」の公開で、30年前に最初に公開されたスターウォーズシリーズ第1話から第6話までがつながったことになる。さてあとの7話、8話、9話はどうなるのであろうか。ジョージ・ルーカスが作るかどうかやね。
 ところでスターウォーズといえば二人のキャラクターがはずせません。R2−D2とヨーダです。私はR2−D2を最初に見てこのキャラクターはどうやって動かしているのか不思議だった。人形を操っているのか、それともコンピューターグラフィックなのかと。正解は実に単純であった。ぬいぐるみだったのである。中に人間が入っているのだ。なるほど、それで旨く動くのだ。いや、まてよ。R2−D2は小さい。あんな小さなものに人間が入れるのだろうか。たいていの人はあんな小さなものに人間が入れないと思っているから操り人形とかコンピューターグラフィックとかを想像する。人間に対する考え方が固定してしまっているのでそのように考えてしまうのだ。大人の人間なら身長160cmから180cmぐらい。足が二本で手が二本、手の指足の指は5本、目は二つ、耳も二つというぐあいにイメージを作り上げている。この基準で考えるからR2−D2がぬいぐるみだとは考えない。しかし現実はぬいぐるみだった。中に人間が入っている。小さな人間が。高さが1m満たない背の低い人、手足が短い障害者が中に入っているのだ。ちなみはヨーダは操り人形です。
 ハリウッドには様々な障害者の役者がいる。いろいろな映画で様々な場面で障害者が登場するので障害者の役者がいっぱいいる。当然といえば当然なのだ。アニメは別としてどんな映画でも人間がでる。人間には大きな人、小さな人、障害者、高齢者いろいろな人間がいる。たとえば酒場のシーンで大勢の人がいれば障害者もいて当然。だから障害者の役者がいて当然なのだ。ハリウッドにはこのような奥の深い幅の広い入れ物があるのだ。いろいろな映画を作るたびにいろいろな役者が出てくる。当然障害者の役者も出る。この地盤があったからスターウォーズが生まれたともいえる。最近の映画では盲目の天才ミュージッシャンのレイーチャールズの半生を描いた「レイ」という映画にも小さな役者さんが出ていました。レイが歌う酒場で司会をしていましたね。
そうそう、昨年上映された「名犬ラッシー」でラッシーを助けてくれる大道芸人さん。馬車を引いてあちこちの町を巡る大道芸人を演じていたのも小さな役者さんでした。
日本ならこんなこと思いつかないでしょう。小さなロボットの中に小さな人間を入れるなんて。日本の映画界の懐がいかに浅いかということでしょう。下手をすれば「障害者差別」だと薄っぺらな中身のない論理をふりかざす連中がいうかもしれない。しかしこれはビジネスなのだ。仕事なのだ。

例をあげてみましょう。小さなビンに大事な物が入ってしまった。ビンの口が小さくて大人の手では入らない。だから子供に頼んでビンに手を入れて取ってもらった。これと同じです。小さなキャラクターをリアルに動かしたい。しかし操っていたのでは微妙な動きが表現できない。そのときに身体の小さな人に入ってもらって演技をしてもらう。簡単で明快な理由です。最近のスターウォーズでは中に入っている役者の名も映画の最後のエンドクレジットで出ている。種明かしをしたのかな。最初のシリーズでは出ていなかったのに。
スターウォーズは有名なシリーズ映画である。R2−D2は人形なのかそれとも中に人間が入っているのだろうかの論議はもはや存在しない。だからあえて隠すことはなくなったのだろう。だからエンドクレジットにR2−D2を演じている役者さんの名前が出た。(実は、私はこの役者さんに会ったことがあります。握手もしましたよ。スター・ウォーズ エピソード3シスの復讐が公開された頃です。)
 僕はスターウォーズが30年前に最初に製作されてこれまでのSF映画を根底から変革したと思っている。それだけすごい映画だから今回のクレジットに中に入って演技をしている役者さんの名が出たのは良かったと思っている。

 R2−D2のことを考えてみてつくづく思ったのは人間を既成の考えでイメージしてはいけないということだ。これは映画だけのことではない。現実の社会でも同じである。人間にはいろいろな人がいて当然なのだという考え方が大切だ。

 映画ではないが白戸三平の名作「カムイ外伝」という劇画がある。この劇画に腕が三本ある忍者が登場する。さすがのカムイも秘技「変異抜刀霞切り」を使ってもこの忍者には勝てなかった。(このへんはカムイ外伝を読んだ方しか分からないと思うが大意は分かっていただけると思う)
この作品の解説で白戸三平は人間のかたちを固定することが如何に無意味であるか、人間のかたちを固定して考えることで違ったかたちの人間を異端視するようになることのおろかしさを嘆いている。このように考えてみると障害者問題は「人間観」の問題だということを再確認できるのだ。「人間観」とは人間の見方のようなものだと私は考えている。人間観を今までの狭いものからもっと大きく持つことが障害者問題を考える上で重要なのではないだろうか。この映画を見て固定した人間観を変えることが障害者差別撤廃の必要条件だと思うようになった。
 漫画といえば手塚治虫の名作「どろろ」が映画化されていま公開されている。百鬼丸は妻夫木聡、どろろはなんと柴崎こうが演じるんだって、すごい。見に行こうと思ったらもう公開が終わるらしい。DVDがでたら見てみよう。「どろろ」は障害観の究極の命題が隠されているような気がします。R2−D2のところでも書きましたが「人間に対する考え方が固定してしまっているのでそのように考えてしまうのだ。大人の人間なら身長160cmから180cmぐらい。足が二本で手が二本、手の指足の指は5本、目は二つ、耳も二つというぐあいにイメージを作り上げている。」このような固定的な人間の見方を根底からひっくり返して「どろろ」の物語は始まる。
というわけで、「どろろ」の漫画を全巻買っちゃいました。

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04-12-18 映画見てきました。 一会員より

大好きな俳優さん二人が出ている最近の映画を見てきた。大好きな俳優さんは、トム・ハンクスとデンゼル・ワシントン。映画の題名は「ターミナル」と「マイ・ボディガード」だ。

Terminal ターミナル
主演 トム・ハンクス 監督 スティーブン・スピルバーグ
もし、あなたが外国旅行へ出発してその飛行機の中で母国が無くなってしまったらどうしますか。この映画の主人公ビクター(トム・ハンクス)はその運命に遭遇するのである。アメリカのニューヨークのエアポートに到着して、さあ、これからニューヨークに行くぞと思っていたら母国消失でパスポートが無効になり入国を拒否されるのである。かといって帰るにも母国への飛行機は飛んでいない。彼はエアーターミナルの中でしか行動できなくなる。
そのエアーターミナルの中で彼は純真でまじめな性格のため当局の法の抜け穴といえるような提案での外に出て行くチャンスも逃してしまう。
でも彼はターミナルの中で日々を何とか生活していく。彼の純真さに心うたれた人が応援してくれるようになる。その過程がすごく面白い。
この映画はスピルバーグ監督の作品では一番好きです。
スピルバーグ監督とトム・ハンクスとのコンビでは「プライベートライアン」があるが、これは私はトム・ハンクスらしさが出ていない気がした。トム・ハンクスはシリアスな戦争物にはふさわしくないと思う。トム・ハンクスの出演作では「フォレスト・ガンプ」以降彼らしい作品が無くてがっかりしていたのだがこの作品は彼の個性がよく出た彼のための映画の気がする。「スプラッシュ」、「ビッグ」、「フォレスト・ガンプ」と続いたトム・ハンクスの暖かさが戻ってきたようだ。
皆さんも一度見てほしい。楽しい映画です。裸も出ないし、派手な銃撃もない今時珍しい映画である。それでもすごく面白い。

原題 MAN ON FIRE マイ・ボディガード
主演 デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニング それからクリストファー・ウォーケン  監督トニー・スコット
軍隊の特殊部隊での残酷な体験のトラウマ(※)に苦しみ酒におぼれる毎日のクリーシー(デンゼル・ワシントン)が10才のピタ(ダコタ・ファニング)という女の子のボディガードになる。
軍隊時代の友人(クリストファー・ウォーケン)が紹介してくれた仕事である。この友人はクリーシーの苦しみを理解する素晴らしい友人である。
その女の子が誘拐される。彼は彼女の母に誘拐犯に復讐することを誓う。
それからのクリーシーはまるでターミネーターである。銃を撃ちまくり、機関銃、ロケット弾まで使って誘拐犯を殺していくのだ。
しかし最後の彼は愛を知り自分の苦しみから解放される。最後はネタバレになるのでいいません。
ピタを演じていた女の子は「アイ・アム・サム」でサムの子どもになっていたダコタ・ファニングである。すごく演技のうまい女優である。子役なんていわない。女優の風格があるからビックリです。
デンゼル・ワシントンは最近いい演技をする。ジョンQも良かったし、少し前になるがクリムゾンタイドの潜水艦の副艦長もよかった。それとクリストファー・ウォーケンがいいね。「ディア・ハンター」でロシアンルーレットで死ぬという衝撃のシーンで素晴らしい演技をした青年だったが今はおじさんになってる。最近の映画では悪役が多いですね。でも今回はクリーシーを見守るいい友人の役だった。

※ 今回クリーシーの状態を説明するのにトラウマという言葉を使ったが一般的によく使われているので使ったにすぎないことをご了解願いたい。
ということで私のトラウマについての考えを少し述べてみたい。
トラウマとは普通は心的外傷と訳される。過去の極度の精神的苦痛(暴力や災害などの外部からの苦痛、自分の行った行為への苦痛もある。)が現在の自分を苦しめるというものである。しかし最近はトラウマは無いという意見も今は多い。精神分析を確立したといわれるフロイトも後年トラウマ論を否定している。そもそも精神分析なるものがいかがわしいのである。物理法則のように人間の心が測れるはずがない。過去を掘り返すよりこれからの生きる希望を与えるべきではないだろうか。誰もがこれから生きていく希望を持てるような様々な配慮や環境を与えられいないのではないだろうか。これが問題ではないかと思うのである。この映画のクリーシーの場合は過去の自分の行為の正当化に悩んでいるにすぎないと思われる。過去の行為は訂正できない。これから自分が何をするかが大切なのである。「反省とは悪しき慣習である」といわれるのはこのためである。反省とは自己の正当化にすぎないのである。罪を背負って今を生きるのがいやで過去の行いは正しかったと自己正当化を望んでいるのである。これがクリーシーの苦しみの原因なのではないだろうか。




 最近ツタヤが家の近くにできて、よくビデオを借りるように。
映画館に行くのは、交通手段や、時間がかかり、(だからこそ贅沢なんだろうけど、)車椅子や松葉杖を使用している者にとっては何かと不便で、なかなか行く気にならない。でもだからといってテレビで、放送を待つのもしゃくだし、そんなときにビデオショップができたのだから・・・
前置きはこれくらいにして、最近見た映画のお勧め度を個人的な偏見をもとに、流行の5つ☆で表してみた。
ハリー・ポッターと賢者の石 ★★★★★ 孤児として育ったハリー・ポッターは、11歳の誕生日に自分が2人の偉大な魔法使いの子供であることを知り、闇の魔法使い のヴォルデモートとの対決に挑む・・・
ファンタジック・アドベンチャージョー・ブラックをよろしく★★★★★ ジョー・ブラックが、めちゃめちゃ切なく素敵・・・。奥が深いラブストーリー。死神だなんて!心の温まる 後味のいい映画。
わたし的には1番お勧め。
モンスターズ・インク ★★★★ モンスターズ株式会社のモンスターたちは毎日、ドアを通って人間の世界に行き、悲鳴を集め、モンスター社会の電力源として使っていた。彼らは、人間の子どもは猛毒を持っていると信じていて怖がっていたのだ。ある日、人間の女の子が迷い込んできて・・・可愛いのなんのって。
エバー・アフター★★★★ グリム童話のシンデレラのリメイク。ロマンティック・ラブストーリー。童話が現実にあったらこんなだったろうなって。
海の上のピアニスト★★★★★ 豪華客船上で生まれて、一度も下船することなく、
乗客にすばらしいピアノの演奏を聴かせ続けた伝説のピアニストの生涯。ピアノのア
ドリブのすごい事!
シャイン★★★ 実在のピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの半生。ラフマニノ
フやショパンなどの名曲の演奏も素敵。
天使にラブ・ソングを… ★★★★★ 殺人現場を目撃したためにギャングに追われる
ハメになってしまったクラブシンガー、デロリス。修道院に逃げこみ、厳粛な教会で
歌われるゴスペルをロックに・・・。楽しい!
バニラ・フォグ★★つぶれそうなレストランで、シェフとして働くアマンダ。市場で
大手デパートのビジネスマン、トムに出会う。
暇なときは思い出して映画でも見てください(^▽^笑)

02/11

    

        「ビューティフルライフについて」について

 ビューティフルライフについてあちこちで評判を聞きます。インターネットでもいろいろな意見が出ているようです。ということで今回は車椅子に乗っている私が感想を書こうと思う。
ビューティフルライフが初回(1月16日)視聴率31.8%とか。フジテレビのロングバケーションの抜いて第1位らしいです。2回目以降も30%前後を維持しているとか。11回続ドラマです。キムタクが出ているから視聴率が上がっているのだと言われています。確かにキムタクが出ているドラマはみんな高視聴率です。

 ヒロインの杏子が死んだ最終回はすごい視聴率だった。 アドバイザーとして実際に車椅子を使っているに意見を聞いて作っていたらしい。 ここまでしてこの程度なのか。
このドラマはラブストーリーです。ヒロインが車椅子に乗っている以外は普通のラブストーリです。しかし中途半端です。
普通のラブストーリーだと言っていますが車椅子の不便さを出したりして車椅子にこだわりを見せています。 私はどちらかに徹するべきだと思います。

(1)普通のラブストーリーに徹するなら車椅子という言葉をいっさい使わない。障害者だとか健常者だとかいう言葉もいっさい使わないという風に徹しないといけない。当然ヒロインの杏子に「もし歩けたらなあー」なんてセリフを言わせてはいけない。車椅子を特別な人が乗る特別な乗り物じゃなく、車椅子を自転車と思う感覚でなきゃだめです。
(2)一方、車椅子の不便さをこのドラマのストーリーの骨子にするなら徹底して社会の車椅子排除の状態を見せつけて欲しい。喫茶店に行ったとき、映画館に行ったとき、食事に行ったときに車椅子に乗っている者にとって最大の問題はトイレです。今までの内容ではそのような場面は非常に少ない。車いすで行けないところはキムタクが介護してこなしている。
  脚本家は車椅子に乗ってみたり日常に車椅子に乗っている人に意見を聞いたりしている。 しかし、どちらかに徹することができないでいる。 どちらかに徹していればかなり質のいいドラマになっていると思う。出演が木村拓哉と常盤貴子でしょ。どちらに徹したドラマにしてもみんな見ますよ。惜しいです。こんな出演者のドラマめったに作れないでしょう。ミスキャストとよく言いますが今回はミスシナリオです。

 障害者を出して、それも非常に見てくれのいい障害者。障害者を客引きパンダとしてしか扱っていない。だから脚本が実にくだらない。 脚本家の今後に期待しましょう。
TBSさん、見てくれのいい障害者を扱うのはもうやめなはれ。
ドラマのTBSと言われた時期もあったのですから猛省を期待します。

  まだまだ20年前のNHKのドラマ「車輪の一歩」(山田太一脚本)に及びもつかない。社会から排除された車椅子が社会に出ていったどうなるかの真実を描きだしていた。斉藤友子が演じる車椅子の女性が家から外に出ておしっこをもらしてしまう。私はショックでした。ここまでドラマにするかとね。しかし当然ありえることなんです。車椅子で使えるトイレが無いのだから。 「車輪の一歩」はさっき言った、(2)車椅子の不便さに徹したと言うことが素晴らしいドラマになった要因だと思う。もし障害者を主人公にするならどちらかに徹するドラマにしなければいい作品はできないと思う。
 この1月に2週間アメリカに行ったのだけど夜はモーテルでHBO(今アメリカで最も人気のある衛星放送)を見ていたのだけど視聴者参加番組で人気番組があるのです。相談者がスタジオに来て相談をするのです。それをスタジオに来ている大勢の視聴者が意見を言うという番組です。 足の障害のある女性が相談者として登場しました。司会者は名前を紹介します。司会者はそれだけ言うだけです。 相談内容は姉さんが私の恋人を取ったいうことです。そこでいろいろな意見が出ます。 しかし彼女が障害者だということの意見はありません。彼女が訴えているのは姉さんをしかって欲しいということだからです。彼女が足に障害があることは関係ありませんから当然です。 司会者も訴求内容にしかふれません。日本だったらまずこうはいかないじゃないかな。参加者から 足の不自由な妹の恋人を取るなんて意見が出そうです。 このアメリカの番組のように普通の番組は主題が大事なのです。それ以外は関係ない。 しかし町で車椅子を見かけて困っているようなら声をかける。これも当たり前。 日本もこのような姿勢が番組作りに必要だと思います。

このドラマで良かったところ
*的場浩司のボランティアはいい役だ。どうみてもチンピラ役の彼がボランティアをするのがとってもいい。
                      

みなさんのご意見をお待ちしています。


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